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2017-05

ヒロシマ:航海日誌 - 2014.03.23 Sun

  
    >> SHINRA DEEP STORY

      
2014  0323 SUN DAY
 

   小話  
|||||
  広島周回:航海日誌  |||||


  20140323hirosima2162.jpg


  おやっ?・・と感じるほど寒気が入った土曜日の早朝、
  海を渡って広島県広島市へと周回飛行に。

  来たる娘の婚礼に向けた行事過程における父親任務のひとつである。
  それは一般に " 結納返し " と言われている。

  こういう婚礼に関する行事は、
  調べれば調べるほどに、それぞれの地域風習による差異や程度差が大きい、
  ゆえに戸惑うこと多し。

  とくに先の " 結納の儀 " にあって父たる私は、
  インフルエンザに倒れ、前代未聞の " 病欠 " した実績?があるから
  今回の広島行は、それがささやかなる儀式とはいえ
  父たる名誉復権のチャンスであった。

  夕刻から相手方の家族と予定通りランデブーに成功。
  宴席開始早々、ほんの1分ばかりの父の任務を無事に全うし、
  あとは和やかなる楽しき宴を囲んでの夜となり。



  20140323hirosima2152s.jpg


  この日、広島に到着したのは昼過ぎ。
  夜の食事会まで余る時間を使い、訪れたいひとつの目的地あり。
  原爆が炸裂した爆心地である。

  わたしはかつて一度だけここに来たことがある。
  それは、はや記憶も薄れる40数年ほど前の小学6年生の修学旅行で
  ここに来た・・はずである。

  ・・なのだが、

  つづく中学、高校のも含めて修学旅行で訪れたはずの場所は
  なんとも希薄な記憶で・・で、まっこと情けないばかりだが、

    
しかし、なぜか旅館やホテルの部屋や風呂で
    皆とバカ騒ぎした記憶はハッキリとしている。

  記憶が薄いのは積もった年月ばかりのせいではなく
  そもそも引き回されて後をついてゆくばかりの " 修学旅行 " なるものは、
  そんなもんじゃないのか?

  と、思うことにしている(←典型的な自我保全の逃避思考である)

  広島の原爆のことは知っている。
  知ってるけれど、聞いたり読んだりしたことばかり。

  だから・・この日に、広島をちゃんと視ておきたかった。
  ために密かに企てていた作戦あり。

  それは、原爆が炸裂したその核分裂反応が放った、
  光の、放射線の、熱線の、爆風の・・


   原爆が他の爆弾と大きく異るのは、
   その桁外れなエネルギーもさることながら、放射線だ。

   黒い雨など残留放射性物質の影響はよく知られるが、
   実は爆発した瞬間から1分間ほど爆裂的に放たれた初期放射線が怖い。

   その初期放射線はガンマ線や中性子線など高エネルギー線で、
   X線や紫外線などの仲間ながら、その数千倍ときには数万倍のエネルギーで

   一瞬にしてすべての生命体の身体をつくる全細胞を高密度で貫き、
   そして細胞の核にある遺伝子を破壊する。

   

  そんな・・
  地球の45億年の歴史のなかでも桁違いに過酷な災いに直にさらされた
  " モノ " に文字通り 手で触れたい。
  


  20140322hirosima2116.jpg


  だから、今回は原爆資料館などはパス。
  原爆ドームも近くで見ることはできるが、触ることはままならぬ。
  市街に残るものあってたしても探すに見当もつかない。

  さて、原爆に直にさらされ今もそこにある " モノ " をどこに探すか?
  そんなひとつの可能性を狙って向かったのは、

   爆心地より北へ1キロほどに位置する「広島城」である。
  
  もちろん、天守閣をはじめ城内の建築物は、
  そのすべてが原爆の熱線と爆風で吹っ飛び、残るものは何もない。
  今あるものは戦後に復元されたものである。
  
  探していたモノは見つかった。
  城を囲むようにある城壁の " 石垣 " や、城内にあった建物の基礎石や
  エントランスに使われていた石段など。

  

     20140323hirosima2132_20140323222322655.jpg

 
  上の写真の石垣は、その壁面をは爆心地方向へ向いている。

  この石垣からざっと800mほど南の、高度600mのところで
  一瞬で数千度になる火球が炸裂した。

  エネルギーと距離を考慮してみれば、

  原爆がピカっと光った瞬間に、
  この石垣の表面は、少なくとも3000度の熱線と放射線にさらされたはずで、
  ほぼ同時に音速を越える爆風に見舞われた。
  
  他にじ、建物の基礎石ばかりが残るところあり。
  そこには、もとあった建物の玄関入り口につづいたであろう石の階段あり。

  往年、人の行き来でにぎわったであろうその石の階段に座り、
  南上方の空を見上げ " その瞬間 " に想いをはせる。



  20140323hirosima2108.jpg


  原爆の業火に残るのは石などばかりと思っていたのだが、

  驚くべきことに、あの熱線と爆風を直に受けてなお、
  生きのびた " 生き物 " があった。

  それは城内にある2本の木。
  上のモノクロ写真がその一本のマルバヤナギの樹で、ちかくには
  もう一本のユーカリの樹があった。

  爆心地からおよそ740mの位置。
  当時にこれらの樹の南方向に遮蔽物はなく、・・ということは
  この2本の樹は、太陽光の数千倍に達する熱光を耐え得たことになる。

  科学的な推察による帰結では、
  この2本の樹が生き残れたはずはない・・のだけれど、
  ちゃんと生きながらえたのだ。


  ||||||||||||||||||||| ウラン235の憂鬱 |||||||||||||||||||||||


  今にそのまま残る石面、そして2本の樹のその枝に幹に触れ、
  54歳にしてやっと、いくばくかヒロシマを知るに到り。

  核分裂反応や核融合反応が生むエネルギーは、
  本来、非有機的な宇宙構造のスケールでのみ存在するべきもので
  
  この繊細にして調和がなす地球の生命圏では、
  ソレは場違いに異質なシロモノであるとあらためて感じるところあり。

  原爆は、極端に非生命的なシロモノ・・であると知る。
  そして、思いがけず同じ地で、生命のチカラの不思議をも知れり。

  それはどちらも私にとって " 知の限界 " でもありました。
  






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